馬留徳三郎の一日
豊岡演劇祭2023参加作品、青年団プロデュース公演「馬留徳三郎の一日」の稽古で江原に来ています。
暑いですが、関東みたいにジメっとしてなくて、なんだか嫌じゃない。雨は多いのに、不思議です。

あらすじを豊岡演劇祭ウェブページより引用します。
馬留徳三郎と妻のミネは山深い田舎の集落に住んでいた。認知症の年寄りや、介護施設から逃げて来る老人たちが馬留家に集まり、助け合いながら生活していた。ある夏の日、徳三郎の息子、雅文から電話がかかってきた。仕事でトラブルがあり、部下が間もなく馬留家を訪れると言う…。劇作家・髙山さなえによる「近松賞」受賞作。
初演は2020年、一度コロナで延期されたりしつつ上演されました。
僕と、永井さんが新キャストでそれ以外の方は初演と同じです。
ユーモアに溢れていて、ずーっとにこにこ笑ってみていられるけど、急に「え、今スリラー始まりました?」みたいな不穏さが顔をのぞかせたり、かと思えばまたそれも「日常」に回収されていく、ような。独特の笑いと緊張感が同居した作品だと思います。
戯曲は高山さなえさんが書いて近松賞を受賞されたものから内容変わったりしているのですが、めちゃくちゃ面白い。好きです。
プロデュース公演なので客演の方もいて、皆さんとても素晴らしく、若輩者の自分はただただ胸を借りるつもりでがんばっています。
芝居の質感も普段の青年団とは違うので新鮮です。僕ももう少し遠くに行きたいので、のこり1週間ちょっと、粘っていきたいと思います💪
記憶、忘れること
認知症がキーということで、「記憶」とか「忘れること」について考えています。
「記憶」って、脳みその中に絶対的に存在しているものじゃなく、認知しようのない「時間」という次元というか感覚の向う側にあるものを、手前にあるものから手繰っていってなんとか参照しているに過ぎないよな、とか。
その手繰る糸があみだくじみたいになっていて、これを引いたつもりがあれが出てきたとか。
だんだん人生経験を重ねると、そのあみだも逆算というかある程度自分でリバースエンジニアリングしていけるようになると思うんですが、そこから更に歳を重ねて色んなことがおぼつかなくなってきたときに、ふとその糸が切れたり組み変わったり、別のものと絡まってほどけなくなったり、なんかシャツのボタンに引っかかったり、するのかなとか。
トラウマとか理想の自分・環境とか、楽しい思い出とか、昨日見た夢の話とか、そういうものが思いがけず絡まり合ってパッチワークのようになっていくのかも、とか。
手の届かないものとかままならないものを祈りを込めて参照してみる、ということがとても演劇的なことのように思えて、なんかある意味で演劇っていうことの本質にも近いかもな、と日々思ったりしています。
演じることも
俳優って「覚える・行う・忘れる」を繰り返す職業だなと思って、なんかその辺も不意に作品とメタ的に重なったりして稽古中ハッとしたりもする。
「覚える・行う・忘れる」ことを仕事にしている人たちが舞台上で劇中劇的に同じことを行っているのが、なんだかとっても可笑しく思える瞬間がある。
2回り以上年上の先輩たちがそのようにしているのを見ていると、なんとも言えない感慨が溢れてくる☺️
舞台上でボケを行うことって、抽象と具体の間で行ったり来たりできて、思った以上に複雑だ!と感動したりしています。
あと1週間くらいで始まります
豊岡演劇祭はいよいよ14日からスタートです。
馬留徳三郎の一日は
- 香住区中央公民館にて、17日13時開演
- やぶ市民交流広場にて、24日13時30分開演
です。
2ステしか無いなんて!
ツアーでも各地まわりますが、豊岡演劇祭で観られるのは2日だけ!ぜひ観に来てください!