「S高原から」に出演していた
2月に江原河畔劇場で、4月にこまばアゴラ劇場で青年団第92回本公演「S高原から」に出演していた。コロナ禍にも関わらず、関係各位の徹底した感染対策で何とかロングランを実現することができた。サポート頂いたすべての方々本当にありがとうございました。
特に東京では最後までできるか本当に不安だったが、なんとか乗り越えて、良かった。
合計で34ステになったみたい。すごい。
やっぱり演劇は(少なくとも俳優にとっては)一つの演目を長くやるということが本当に良くて、セリフや身体の動きが随所にずいずいと馴染んでくる。
どうしても1ヶ月くらい稽古して5〜10ステくらい本番をやってというライフサイクルだと、なんだか緊張しっぱなしで本番が終わってしまうというか、うまくやろう間違えないようにしようでおしまいになってしまうというか、そういうところがある。終わったあとで「ア!なるほど!」とか。
もちろん、青年団は自分で劇場や稽古場を持っているからこそ、長く稽古して長く上演することが可能なわけだけど、これくらいやるのは、やっぱりいいよなと思う。
そう、今回は稽古もすごく長くて。オミクロン株が流行してオリザさんの他所での仕事がいくつかなくなったりしたのもあって、かなりしっかり稽古した。
江原滞在中は、コロナで遊びにもいけないし、朝起きて車で劇場に運ばれて稽古して、また車でマンスリーマンションに送られて、寝て、という、演劇人間みたいな1ヶ月強をすごした。
個人的にはこれがかなり充足していて、他の人も言ってたけどS高原からや魔の山の印象とも合致してきて、なんだか良かった。
青年団の芝居ってとにかく(自分の中で)きっかけ芝居で、相手のセリフとか動きとか、装置とか、あらゆることをきっかけに自分の演技が発動するようになっているので、逆に言うと、自分の「プラン」みたいのを入れ込むとき、若干気を遣う。
自分のそのプランがその場にいる他の人のプランに対して副作用を与えてしまうので。
稽古が詰まっていると(自分の人間性もあるが)割とこういうところの折衝がタイムオーバーになっちゃうこともあるけど、今回はそういう部分についてたくさん試せたし、オリザさんも折に触れて「及第点に収斂せずにギリギリまで面白くできるところを探そう」みたいなことをアナウンスしていて、座組全体で探っていく感じも随所に感じられ、それも良かった。
こんなにたくさん上演していると、気が緩んだり余裕が出てくることもある。
集中しろよ、というのはそうなんだけど、この言い換えればリラックスしている状態で口や身体が覚えた演技を繰り返すと、
ふと稽古中に発見できなかった生々しいものが、突如ひょこっと顔を出し始めることもある。
まあそういうのは、大概が役者のエゴと呼ばれるもので、碌なものじゃない可能性もあって、
幕も上がってオリザ稽古もないので極端に芝居を変えることはできないが、
まあでもいつもどおりの線路を走るなかでもそういったちょっとした風景の違いが感じられると、より豊かになる。
これって俳優の特権だよなと思う(賄い的な)。
結局俳優も、自分が自分で豊かになるためにやっているようなところがある。
だから本当は、観客も一緒に稽古して演じてみて、そんで上演をやるのが一番豊かなんじゃないかと考えることもある。
無隣館1期修了公演「S高原から」
実は、無隣館1期生として、8年前に一度S高原からをやっている。
もう8年も前か、と少しおっかない気持ちになる。
当時は21歳、大学3年の年だった。今思えば本当にちんちくりんな解釈と演技だったと思うが、それでも一生懸命やっていた。
学生演劇しか経験のなかった自分にとって、初めて「外の」「大人と」やる演劇で、忘れられないものになっている。
修了公演はトリプルキャストで、自分はBチームで鈴本、Cチームで西岡をやった。
そう、実は西岡をやった。
その話をしたときオリザさんは「(えっ、お前が・・?)」みたいな顔を(キャスティングしたのはオリザさんだが)していた笑
もう既に、オリザさんの中では完全に西岡枠ではないんだろう。南無。
そのときの上野は今回と同じ村田さんだった。
今回の吉田さんと比べたらあまりにも坊やの西岡で、大変心もとなかったと思う。
まあでも、A・Bチームで西岡をやっていたのも前原くんなので、あのときはだいぶ若い西岡だったんだなあ。
吉田さんと村田さんの西岡・上野を見て、ああ、ここはこのくらい終わってるカップルなんだなってすごく感動した。
西岡だけじゃなく、当時と今回とでは、単純に自分も年齢を重ねて人生・演技ともに幾ばくかの経験を積んだのもあるし、
今のいろんな状況も相まって、全く違う解釈や、見え方、聞こえ方をしていた。
修了公演は当時の自分のベストだったけど、やっぱり色々わかっていないところも自覚はしていたので、いつかまた絶対やりたいと思っていた。
でも本公演でやるとなると、ベテラン・中堅の先輩たちに持っていかれて役がないかも…自分の出ていないS高原からを観るのは本当につらい…と思っていたので、今回の若手中心のキャスティングというコンセプトにはかなり救われた。
それだけ思い入れも強く、今回は長くできて本当によかった。
鈴本春男
西岡は華のある役なんだけど、修了公演でも演じて、いつかまた絶対やりたいと思っていたのは実は鈴本の方だ。
配役のメールを読んだとき、「よしっ」と声に出てしまってウケた。
この役が、どうにも頭から離れなくてずっとモヤッとしていた。
それは21歳でも多少、「悲劇の天才画家」よりは身の丈にあっていたから、掴みそこねたことが余計に悔しかったのかもしれない。
それに、この役、なんかすごくヘンで。
香盤表を見るとびっくりするけど、実は一番出番が多い。
2場で登場して、西岡・上野、村西・佐々木のシーン以外は4場の中盤でハケるまでほとんど舞台上にいる。
なんでお前が?という。なんでこの人ずっといるの?笑みたいな。
しかも2場で出て一度ハケるまでの感じからして、なんかあんま出番多そうな感じがしないのに、3場から急におしゃべりになって色んな人と話し出す。気がする。
なんかこの鈴本という人が、上野や松井先生、村西や佐々木とも交わって情報のバイパス的に存在するのが、すごい不思議、というかヘンな感じ。
そこで得た情報を、別に表立ってなにか駆動させる材料にはしないところも、ヘンだなあと思う。
弁みたいだけど、弁の役割を全く果たさないのできっと弁ではない。もう少し無責任で捉えようがない。
オリザさんはよく「役のファクター(機能)を考える」と言っていたけど、鈴本のファクターってなんかパット見の存在感に比して複雑じゃないですかっていう印象だった。
個人的には、キスしそうになっている風立ちぬ兄弟を見に行く藤原を送り出したあとの、坂口と2人で福島を見ているシーンがお気に入りだった。
あそこが、戯曲で読んだときから、なんかぐわっとしていて好きだった。絵画的で、抽象に飛んでいきそうな気配が感じられて。
結構思い切った間を取ったけど、詰めろと言われなかったのでよかった。
8年前より、色々解釈して反映させようと思っていたけど、なんか感想を聞くにあんまり何を考えてる人かわからなかったらしい笑
自分のなかでは、反映させすぎてトレンディになってやいないかと結構不安もありつつだったけど。
なんかこの辺の自意識と出力のバランス感覚がいつまでたっても整わない。まだまだ研鑽が必要ですね。
今回、8年前よりはマシになったかもしれないが、まだまだこの役の謎が多くて、なんか結果的には「いつかまたやりたい」を上塗る形になってしまった。
けど、楽しくて満足はしました。
Sとは
なんか自分の役について語る感じになってしまって恥ずくなってしまった。
戯曲自体も好きで、いつかまたやりたい。
あ、そういえばS高原からの "S" って結局なんなんだろう。オリザさんが稽古場で質問があれば何でもと言っていたときに聞けばよかったかな。
さすがに野暮かと思って聞かなかったが。
たぶん観た人それぞれでいいと思うんだけど。
個人的には、「想(Sou)・葬(Sou)・Sequence」って感じです。